信仰を持つということ

教会に通って、夢が叶った話 – 人生の夢を見つけた編 –

みなさん、夢ってありますか?

私は教会に通う前こんな夢を持っていました。

【涙が出るほど熱くなれる人生の目的を見つける】

こんな夢を持っていました。熱いですね。

でも本当にこういうものを見つけたかったんだよね〜。

すぐに熱が冷めてしまうようなものではなく、「これなら人生を賭けても良い!」と自分が納得できるものを。


いろんなことをしました。

  • 海外に一人旅に行ってみたり
  • 気になることは自分で勉強してみたり
  • 交友関係を広げれば何か得られるかもと思い、交流会に参加してみたり
  • SNSで会ってみたい人にアポを取り、会いに行ってみたり
  • 挙げ句の果てにネットワークビジネスに足を踏み入れそうになったりもした

もちろん、何か行動を起こせば何かしら得た。

ただ【人生を賭けても良い!】と思えるものには出会えなかったんだ。

そんな人生を迷走している時に私は聖書を学ぶ機会を得ました。

もちろん分からない部分もあったし、納得できないこともあった。本当に信じていいか分からないこともあった。

でも、学べば学ぶほど矛盾しているものがなかった。むしろ矛盾しているのは自分だった(‘ω’)

御言葉を確かめながら、学んでいくうちに「私が人生を賭けても良いものはここにある」と確信するようになったんだ。

そして教会に通うようになり10年目になる今でも、その想いは変わらないです。


神様を信じて変わったことというのは、自分しか分からない。信じていない人には分からないです本当に。

自分が神様を信じていなかった頃にイメージしていた「神様を信じること」と

実際に神様を信じるようになってから分かった「神様を信じること」にはあまりにも差があることを自分が知っているから、そう断言できます。

神様を信じて生きるって最高に楽しいよ〜〜!御言葉を学んで信じるという選択をしたことに一度も後悔はないよ〜〜!分かりやすく御言葉を教えてくださる牧師先生に本当に感謝しているよ〜〜!

そんなことを叫んで終わります。


教会で人生を賭けても良いと思えた具体的なことは何か?というと、説明が長くなるので、またいつか(多分)書きます。

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