宗教って束縛するイメージあるよね?
最近あったお話
いきなりですが、私の生活はこんな感じ。
- フルリモート・フリーランス・パラレルワーカー
- プライベートで遊ぶのは、家族や教会の人が多い
- SNS上ではいろんな人と交流する
最近、ちょっとした問題にぶつかったんだ。でもどうやって解決するのが一番いいのか分からず、とりあえずお祈りしたんですよ。
そしたらね、2日後くらいに教会の尊敬する先輩から「**について話したいんだけど、電話できる〜?」って急にLINEがきたんだ。
その**が、私が2日前にお祈りした解決したいことだったの。
神様、お祈りを叶えるの速すぎじゃないですか??
と驚いた〜〜〜!!
結局その人と話すことによって、とっても良い解決策が見つかったんだよね。その解決策に、もう、目から鱗。
そこで気づいたことがあるんです。
ああ、自分って考えが偏ってたんだな。いつも一緒にいる人たちの考えが中心になっていた部分があるんだな。定期的にいつも一緒にいる環境とは違うところに行ったりして、偏らないようにしないといけないなって思ったんだ。
自分の意見も大切にし、相手の意見も大切にし、客観的な意見も大切にする。大変だけど、この「具体と抽象」「縮小と拡大」の考え方を手に入れられたら、相当物事をよく見ることができるよな〜。
宗教って偏りあるっけ?
そしてまた考えてみた。
日本人のイメージとして「宗教って、人を縛るもの」みたいなイメージないですかね?その感覚は分かります。だけど実際に、自分がキリスト教福音宣教会の教会に通ってみて感じることは以下です。
- 全然、束縛されていない・・
- むしろ自分が好きで御言葉を聞き、御言葉を守ろうとしている
- てか教会以外の人と遊ぶなとか1度も言われたことない・・
- むしろ積極的に交流しているし、勉強会に参加したりしているわ
- むしろ本当の自由を得た感じ
- 結論、超楽しい
となりました。w
教会の中だけにとどまっていなさい、ほかの人と友達になるなとか言われたことないな〜。むしろどんな人も大切にしようって教えてもらっているから、教会に通う前よりも人のことを大切に思えていると思う。
そんなことを考えた最近でした!